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Japanisch: Wer ist der Schöpfer?

An verschiedenen Beispielen wird die Genialität der Schöpfung dargestellt. Als Wissenschaftler erklärt Prof. Dr. Werner Gitt, dass die unglaubliche Information, die in der ganzen Schöpfung steckt, einer intelligenten Quelle bedarf. Diese Quelle ist Gott selbst. Die Wissenschaft kann nur das "Was" analysieren, nicht aber das "Woher". Das "Am Anfang schuf Gott Himmel und Erde" der Bibel gibt uns eine Antwort auf die Frage nach der Herkunft des Lebens. Der Gedanke, Gott hätte durch Evolution geschaffen (die so genannte "Theistische Evolution"), untergräbt die Autorität der Bibel und ist mit dem christlichen Glauben unvereinbar. Die Bibel zeigt deutlich, dass Jesus der Schöpfer ist. Jesus hat die Menschen geschaffen und liebt sie hingebungsvoll. Darum lädt Jesus dazu ein, diese Liebe anzunehmen. Dieses Traktat eignet sich besonders gut zur Weitergabe an suchende Menschen! 「生命の設計者」って、いるの? 私たちを取り巻く世界 生き物の世界をほんの少し眺めてみれば、大多数の生物はそれぞれの目的に添うように驚異的に高度な設計がなされていることがよくわかります。哺乳類であるマッコウクジラは、3,000メートルの深海から浮上する際でも潜水病で死ぬ危険がないように造られています。また、キツツキは木に何度も頭を激しく打ち付けても、脳が損傷を受けることはありません。 生命が維持されるためには、通常、生物の内臓器官、例えば心臓や肝臓や腎臓などが完全に機能することが必要です。まだ発達の途中にある臓器や、中途半端に発達した臓器は、ほとんど役には立たないのです。つまり、将来の目的や機能に対応することができるように臓器が定まった方向へ発達するという進化論的な考え方が全く通用しないことは、ダーウィン思想を信奉するほとんどの人々も、なんとなく気が付いているのではないでしょうか。 多くの渡り鳥は、天候や昼夜にかかわらず目的地に確実に運んでくれるナビゲーションシステムを持っています。例えば、ムナグロは越冬のためにアラスカからハワイまで渡ります。4,500キロメートルを飛ぶためのエネルギーは70グラムの脂肪が必要であることが正確に計算されており、これは向かい風の場合の備えとして6.8 グラムを算入した数値です。 オウム貝はらせん形の貝殻の外端の部分で生きています。この貝殻の内側は多くの小部屋に分かれており、この貝が海底に潜るその深さに対応した量の気体で満たされていて、常にバランスが保たれています。これと比べると、現代の潜水艦は扱いにくく、バランスの取れた形とはいえません。普通、このような動物は、水深約400メートルのところで生活していますが、夜間は深さ100メートルくらいにまで浮上するのです。 ある種の微生物は電気で駆動されるモーターを内蔵していて、これによって前に、また後へと動くことが出来ます。信じられないかも知れませんが、僅か60億分の1立方ミリメートルの大きさの大腸菌(E. coli)が、6個以上のモーターや、エネルギーを調達する発電機、コンピューターのようなシステム、そして相当数の化学工場が内蔵されています。 生きた細胞は、人が作ったどんな機械よりもはるかに複雑、かつ精巧に造られています。その中では何千もの化学操作がプログラムに従って同時に行われており、それがすべて互いに統合されて働いています。 生きた細胞内のDNA分子には、ぎっしりと情報が詰め込まれています。ピンの頭くらいの部分に詰め込まれたDNAの情報量は何冊の本に相当すると思いますか?15兆冊です!もし、この数多くの本を積み重ねると、地球から月への距離の500倍もの高さ、つまり384,000キロメートルにもなります。 この宇宙には10の25乗(1の後ろにゼロが25個付く)の星があります。最も長寿の人でも、その一生の間に、この星をすべて数えることは出来ません。毎秒100億を数えることが出来る最速のコンピューターを使っても、これら星をすべて数えるには3,000万年かかります。 思慮深い人であれば誰でも、これら数多くの事例を目にしたときには、これらすべての独創的なデザインの起源を考えたくなるのではないでしょうか。余りにも多くの人々に受け入れられている進化論によっては、生命の起源に関して論理的な回答は得られません。なぜなら、すべてのこと、魂、意識、そして細胞内の膨大な情報までを、進化論はただ物質でしかないと、主張することになるからです。科学的には情報は物質ではないことを私たちは知っています。情報に関する自然法則によれば、情報は常に知的な起源、すなわち、意志を持った情報を発した方がいることは明白です。創造のみわざにおいて表された知性と知恵は、まさに驚異的なものです。これらのことを思慮すると、設計なさったものに対して責任を負われる方、独創的な設計者(創造主)が存在しておられるに違いないと結論せざるを得ません。その方は、いったい誰なのでしょう。 信頼できる答えはどこで見つかるの? 自然科学というのは、私たちが住んでいる世界の時間、空間に関する実態を、様々な測定方法を使って研究するに過ぎません。自然科学は、「何が」創造されたかということだけを考慮する対象となり、その「起源」については対象外なのです。「生命の設計者が存在するか」という質問に対する回答は、人間の能力を超えたことであり、「創造主」ご自身によってのみ得られます。神の御言葉である聖書の第一節に、その答えが記されています。「初めに、神が天と地を創造した」(創世記1:1) 創造に関するすべての情報には知的な起源があるはずだと、先に書きましたが、聖書はまさしくそのことを示しています。 「創造主」って、誰のこと?  天と地を創造した神は、すべてのものよりも先に存在しました。空間、時間、物質が存在する以前に神は働かれたのです。この1節にだけ限って調べると、父なる神は創造というたった一つのことだけをしておられるという印象を受けます。創造の場に創造主はお一人ではなかったということを決定的に示すことが、「私たちは人を造ろう」(創世記1:26)と書かれていることで分かります。この箇所と「…神の霊は水の上を動いていた」(創世記1:2)から、聖霊が関わっておられたことが明らかです。聖書は情報を一度に挙げることをせずに、少しずつ語っていくことが多いのです。新約聖書では、「誰?」という質問はさらに詳細に取り扱われています。第一コリント8章6節には、天地創造のみわざに、イエス・キリストが関わっておられたことをはっきりと示しています。 「私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものはこの神から出ており、私たちもこの神のために存在しているのです。また、唯一の主なるイエス・キリストがおられるだけで、すべてのものはこの主によって存在し、私たちもこの主によって存在するのです」(第一コリント8:6)。 創世記1章1節にある「神」、ヘブライ語で「エロヒム」という言葉は、創造主である神を複数形で表しています。つまり、天地を創造されたお方は、当然のことながら、父なる神、そのひとり子、さらに聖霊という、三位一体の神なのです。 父なる神は、イエス・キリストを通してこの世を造られました。このことはヘブル人への手紙ほか、多くの箇所で語られています。「神は、御子(イエス・キリスト)を万物の相続者とし、また御子によって世界を創られました」(ヘブル1:2) ヨハネの福音書も、すべて存在するものの源がイエス・キリストにあると述べています。「すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」(ヨハネ1:3) イエス・キリストは創造主! イエス・キリストが創造のみわざに重要な役割を果たされたことについて、コロサイ人への手紙にも書かれています。「なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。」(コロサイ1:16-17) さらに、聖書が天使と呼んでいる数え切れないほどの被造物が存在する私たちには見えない世界をも、イエス・キリストはお造りになりました。神の創造されたものは、すべて多様であり同時に高度な秩序正しいものです。このことは先ほどの聖句の「王座、主権、支配、権威」という言葉に表わされています。 イエス・キリストは創造主であるだけでなく、この世界を維持するお方、すべてを存続させるお方です。この世界は創造された後、放置されたのではなく、神の力強い御言葉によって保たれ、維持されているのです。それゆえ私たちは、星の衝突や太陽の燃え尽き、あるいは燃焼温度の低下などによって宇宙が破滅するということを恐れる必要はありません。 イエス・キリストは再び来られるまで、この世界を維持されるのです。ジャック・モノ(Jaques Monod)というノーベル賞受賞者が主張したように、人間は「偶然」に誕生したものではありません。人間はイエス・キリストという目標を目指して造られたのです。この目標なくしては、人生は意味のないものとなります。 旧約聖書に見るイエス・キリストの創造活動 旧約聖書の箴言には、次のように記されています。 「主は、その働きを始める前から、そのみわざの初めから、わたし(イエス・キリスト)を得ておられた。大昔から、初めから、大地の始まりから、わたしは立てられた。深淵もまだなく、水のみなぎる源もなかったとき、わたしはすでに生まれていた。……わたしは神のかたわらで、これを組み立てる者であった。」(箴言8:22-24, 30) 「わたし」、また「組み立てる者」という言葉は、イエス・キリストが実際に創造に関わっておられたことを示しています。また、ヘブル人への手紙1章10節にも、イエス・キリストのみわざが記されています。「主よ。あなたは、初めに地の基を据えられました。天も、あなたの御手のわざです。」(ヘブル1:10) 創造主はどのようにしてみわざを 成し遂げられたのか? 神がどのように天地を創造されたのか、聖書はその方法を明らかにしています。 •             神のみことばによって 「主のことばによって、天は造られた。」(詩篇33:6)、 「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」(ヨハネ1:1-4) •             見えないものによって 「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。」(ヘブル11:3) •             神のみ力によって 「主は、御力をもって地を造り、知恵をもって世界を堅く建て、英知をもって天を張られた。」(エレミヤ10:12) •             神の知恵によって 「あなたは、それらをみな、知恵をもって造っておられます。地はあなたの造られたもので満ちています。」(詩篇104:24) •             神のみこころによって 「あなたは万物を創造し、あなたのみこころのゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」(黙示4:11) •             神の御子によって 「万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。」(コロサイ1:16) •             イエス・キリストの御性質にしたがって 「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」(マタイ11:29) 「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」(ヨハネ10:11) これらの創造のみわざは、創造の6日間に行われました。これらのみわざは、通常の自然法則の過程に従うものではないので、信仰によってのみ完全に理解できるのです。自然法則がこの世界の生物の生きる姿やもののあり方を定めますが、自然法則によって創造が行われたのではなく、創造の結果として自然法則が定められたのです。 この世界の悪は、どこから出たか? 現在私たちが目にしている世界は、当初、神が創造された「非常によかった(創世記1:31)世界」とは、多くの点で異なってきています。創世記3章にあるとおり、創造主に対して、最初に創られた人間の夫婦が反抗したことにより、この世界に変化が起こったのです。 イエス・キリストによって私たちに何が与えられたの? イエス・キリストは、私たちの人生を築き上げるための土台です。イエス・キリストの中に、すべてのもの、―創造、聖書、信仰、救い、平和、希望、父なる神に至る道、人生の目的―の土台があります。イエス・キリストは不動の「岩」です(1コリント10:4)。 その岩、不動の土台の前では、人間が作り出した不確実なシステムなど、むなしいものとなってしまいます。神は言われます。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。」(1コリント1:19) イデオロギーや無神論、および進化論などは、イエス・キリストという岩によって滅ぼされます。これらの思想の支持者は、すべてのものの創造主、設計主、救い主である神を激しく拒否していますが、いつかは、ピリピ2章10節にあるとおり、「天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるものすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、『イエス・キリストは主である。』と告白する」ようになります。 なぜ、進化論はそれほど危険なのか? 進化論は、私たちに誤った世界観を与えるだけではありません。ジャン・ポール(Jean Paul)が的確に描写したように、進化論は私たちを次のような絶望に陥れるのです。「神はいない。荒涼とした、沈黙の虚無。冷たい永遠の欠落。狂気の偶然。この広大な宇宙の死体置き場にあって、私たち一人一人は何と孤独なのだろう!」 世界は創造主なしですべて説明できると、進化論は主張しています。その結果、人々を無神論へと誘惑します。そして、イエス・キリストの言葉通り、無神論の信仰は私たちを地獄へ導きます。「信じない者は罪に定められます」(マルコ16:16)。ある人々は、進化論を、神がみわざを行われる手段として使われたと説明しようとします。しかし、もし神が進化を用いて創造されたと仮定すると、以下のようなことになるでしょう。 •             最初の人間の夫婦はいなかったことになる •             ヨアヒム・イリーズ(Joachim Illies)が言うように、「攻撃が 進化を押し進める原動力」だとすると、そこに「罪」は生まれ  なかったことになる •             神は創造の手段として死を用いられたでことになる •             罪の深いアダムと対比して「最後のアダム」と呼ばれたイエス・キリストを通しての救いは、何の根拠もないことになったことになる これらのことを考えると、いわゆる「有神論的進化論」は、聖書のメッセージの土台そのものを破壊してしまうことを示しています。したがって、この間違った考えは完全に拒絶されなければなりません。 真剣に考えるべきこと 私たちはイエス・キリストがすべての物の創造主であることを知ることができました。 この方は永遠の昔から存在しておられ、天の御国の王であられます。この方には、「天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。」(マタイ28:18) 私たちは、恐れ多い、驚くべき事実を受け入れ、しっかりと心に刻まなければなりません。つまり、この天地のすべてを創造された造り主と、ゴルゴタの十字架にかかられた人物が、同一のお方である」ということを。 私たちに対する限りない愛によって、イエス・キリストは、逆らわず、甘んじて十字架にかかってくださいました。その尊い犠牲によって、私たちのために、天国への扉が開かれたのです。このことを拒否する者は、すべてを失ってしまいます。「私たちがこんなにすばらしい救いをないがしろにしたばあい、どうしてのがれることができましょう。」(ヘブル2:3) イエス・キリストを信じ、受け入れる人は、誰でもすべてを手に入れることができるのです。「わたし(イエス・キリスト)のことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。」(ヨハネ5:24) 神のさばきに会わないように、イエス・キリストを信じ受け入れて、あなたの罪を赦していただき、イエス・キリストをあなたの個人的な救い主として受け入れ、従われますよう、お勧めいたします。 Prof. Dr. Werner Gitt著者:ヴェルナー・ギット教授

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Japanisch: Wie komme ich in den Himmel?
Japanisch: Wie komme ich in den Himmel?

Die grundlegende Frage, die suchende Menschen sich stellen, wird hier von Prof. Dr. Werner Gitt beantwortet. "Wie findet man den Himmel?" Auf jeden Fall nicht durch eigene Anstrengungen oder Konzepte. "Was aber bringt uns wirklich in den Himmel?" Gott hat die Einladungen für den Himmel schon verteilt wie im Gleichnis des Menschen, der zu einem großen Fest Einladungen verschickte. Doch viele Menschen redeten sich heraus. Prof. Dr. Gitt ruft dazu auf, nicht so "kurzsichtig" wie diese Leute zu sein. Jesus will uns vor der Hölle erretten und diese wird kein Vergleich zu der sogenannten "Hölle von Auschwitz" sein. Er hat am Kreuz für unsere Schuld bezahlt, wir müssen diese Einladung nur annehmen, dann ist ein Platz im Himmel "gebucht". Ein Entscheidungsgebet soll den Lesern dabei helfen. Dieses Traktat eignet sich besonders gut zur Weitergabe an suchende Menschen!  どうしたら 天国に行けるの?  「永遠」について考える人は、そう多くありません。人は時々、「死」については考えますが、「死後」に何が起こるかまでは考えません。  子役だった頃、E.T. という映画で活躍したドリュー・バリモアというアメリカの女優さんは、28 歳のときにこう言いました。「うちの猫より先に、私が死んだら、私の遺灰を猫に食べさせて。そうすれば、私は猫の中で生き続けることができるわ」。何と恐ろしい、愚かで短絡的な考えではないでしょうか。  イエス様が生きておられた時、大勢の人々が悩みを抱いてやってきました。その悩みの多くは、遠い未来のことではなく、その日の、目の前の悩みでした。  十人のらい病人は、病気を治してもらいたいと願いました。(ルカ17・12)  ふたりの盲人は、目が見えるようになりたいと願いました。(マタイ9・27)  群集のひとりは、遺産分割の調停をしてほしいと願いました。(ルカ12・13)  パリサイ人たちがイエス様を陥れるために、「カイザルに税金を納めるべきかどうか」と質問しました。(マタイ22・17)  これらは切実な問題でした。しかし長い目で見て、はるかに大事なこと、「どうしたら天国に行けるのか」について、イエス様に尋ねる人はほとんどいませんでした。でも、ある金持ちの役人はイエス様に尋ねました。「私は何をしたら、永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか」(ルカ18・18)。それに対するイエス様の答えは、「持ち物を全部売り払って、私についてくるように」でした。彼は大金持ちだったので、悲しみながらもイエス様の仰せに従うことができず、天国に入る機会を逃してしまいました。  一方、聖書には、天国を捜し求めていなかったものの、イエス様によって天国の存在を知り、天国に行くチャンスを得た幸せなザアカイという人物が記されています。ザアカイはイエス様に会いたいと熱心に願った結果、イエス様に会えたばかりか、それ以上のすばらしいものを手に入れました。  イエス様は彼の家に泊まられ、親しく語ってくださり、そしてザアカイは、天国を見い出したのです。「きょう、救いがこの家に来ました」(ルカ19・9)。とイエス様はおっしゃいました。 どうしたら天国を見 つけられるのでしょうか?  天国、つまり天の御国については、次のように言うことができます。  天の御国は、いつでも見出すことができます。このことは、読者のみなさんもまた、今日にでも「永遠のいのち」を手に入れることができる、ということを意味しています。  天の御国は、良い行ないによっては手に入れることはできません。  天の御国は、何の準備もなく、手に入れることができるのです。  私たちはどうしたら天国に行けるかと、自分勝手にあれこれと考えますが、天地を創造した神様の言葉に基づかない考えは、すべて間違いです。間違いの例を二つあげましょう。ある有名な歌手は、サーカスを引退するピエロのために、「彼はピエロの演技を通して多くの人々を幸せにした。だからきっと天国に行くだろう」と歌いました。  また、ある金持ちの女性は、二十人の女性が無料で住める施設を建てました。そこに住むための条件はただ一つ、金持ちの女性の霊的な救いのため(つまり天国に行けるために)、毎日1時間祈り続けると約束することでした。これらの考えが誤りであることは言うまでもありません。 では、私たちは一体何をすれば、本当に天国に行けるのでしょうか?  イエス様はこのことを説明するために、宴会のたとえ話をなさいました(ルカ14・16)。ある人がすばらしい宴会を催したいと考え、多くの人々を招いたのですが、その招きを断る人々が多かったのです。断る理由は、「畑を買ったので」(18節)、「牛を買ったので」(19 節)、「結婚したので」(20 節)などというものでした。この「ある人」とは、イエス様のことです。そしてイエス様は、このたとえ話を、次のような言葉で締めくくっておられます。「言っておくが、あの招待されていた人たちのなかで、わたしの食事を味わう者は、ひとりもいないのです」(24 節)。  このたとえ話が示しているように、私たちは、イエス様の招きを受け入れて天国に入れるか、それとも招きを拒絶して天国を失うかのどちらかです。肝心なのは、「あなたが」天国への招きを受け入れるか、それとも断るか、です。なんと簡単で、容易なことではありませんか。  時が来て、悲しいことにあなたが天国に入るのを拒絶されるなら、それはあなたが「天国への道を知らなかった」からではなく、あなたが「イエス様の招きを受け入れなかった」からです。上記のたとえ話に出てくる、招きを断った三人は、悪いお手本です。なぜなら三人とも、宴会への招きを理由をつけて拒絶したからです。  では、このイエス様の宴会は、断る人々が多くて中止になったのでしょうか? いいえ、そうではありません。招きを断った人々が出たので、宴会の主人はひろく世界中の人々に招待状を出しました。今度は特別な招待状ではなく、単に、「来なさい!」と呼びかけられたのです。この招きを受け入れた人々は誰でも、宴会の席を与えられました。そして大勢の人々がやってきました。それでもまだ席があるのを見た主人は、しもべに言いました。「街道や垣根のところに出かけて行って、この家がいっぱいになるように、無理にでも人々を連れてきなさい」(23 節)。  このたとえ話は、現在の私たちとどのような関係があるのでしょうか? 天国にはまだ場所があり、イエス様はあなたにつぎのように呼びかけておられます。「来て、天国のあなたの席に着きなさい。正しい判断を下し、あなたの永遠の場所を予約しなさい。今日、そのことをしなさい」。  天国はすばらしい所です。だからこそ、イエス様は宴会にたとえ、私たちを招いておられます。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである」(1 コリント2・9)。  この地上では、天国に似た所は、どこを探しても見つかりません。天国とはそれほどすばらしい所です。天国を逃すわけにはいかないのです。信じられないほど貴いお方、神の子であるイエス様は、私たちのために天国への道を開いてくださいました。そして私たちが容易に天国に行けるようにしてくださったのです。  私たちがしなければならないたった一つのことは、ただ「天国に行きたいと願うこと」だけです。先ほどのたとえ話に出てきた人々のように「近視眼的」でない限り、神様からの招きを断れる人はいないはずです。 イエス様を通しての救い、天国への道  使徒の働き2 章21 節は、とても重要な一節です。「主の名を呼ぶ者は、みな救われる」。これは、新約聖書の核となる言葉です。伝道の途中、ピリピの牢獄に囚われていたパウロは、看守にこう言いました。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒16・31)。この言葉は、簡潔で革命的であり、私たちの人生を根本的に変えてしまいます。事実、看守はその夜のうちに回心し、救われたのです。  イエス様はあなたを「何から救われる」のでしょうか?  これはとても大切な質問です。イエス様は私たちを、永遠の滅び、地獄に至る道から救い出されるのです。聖書によると、人は天国か地獄のどちらかで永遠に過ごすことになります。天国はすばらしいが、地獄は恐ろしい所です。そしてそれ以外の選択肢はありません。死んだらすべてが終わりだ、と考えている人々は、死んだ後、実は死が終わりでなかった、という事実に直面します。あなたの人生はイエス様との関係によって裁かれるのです。その裁きの結果、あなたが永遠をどの場所で過ごすのかが決まるのです。  ある講演旅行でポーランドに行ったとき、私はアウシュビッツの強制収容所を訪ねました。第二次世界大戦中、アウシュビッツでは恐ろしいことが行われました。1942 年から1944 年の間に、第三帝国によって160 万人以上のユダヤ人が殺害され、その死体は焼かれました。いわゆる「アウシュビッツの地獄」です。一度に600 人が殺されたガス室に案内されたとき、この言葉が頭をよぎりました。それは想像を絶する凄惨な情況だったに違いありません。1944 年にこの悪夢は終わり、現在、私たちはだれでも、このガス室を見学することができます。ガス室に送られたり、拷問にかけられたりする人々は、現在誰もいません。アウシュビッツのガス室は終わったのです。 この収容所跡の博物館の入り口に、十字架にかけられたイエス・キリストの絵が掛けられています。殺されていったある囚人が、壁に爪で刻み込んだイエス様の絵です。囚人はその絵を残すことによって、イエス様に対する希望をはっきりと示そうとしたのです。もちろん、この人もガス室で殺されましたが、救い主であるイエス様を知っていました。悲惨な所で亡くなられましたが、天国に招き入れられたのです。  イエス様がマタイの福音書で述べられた「滅びの道」(7・13)、「ゲヘナ」(5・29、30)、「永遠の火」(18・8)、また、黙示録で「火の池」(20・10、15)と記された、恐ろしい「地獄」から逃れる道を、私たちは持っていません。また、恐怖と苦痛が永遠に続く場所「地獄」を、訪れてこの目で見ることもできません。  しかし、「天国」もまた、永遠にわたって続きます。そして、その「天国」こそ、神様が私たちを連れて行きたい、と願っておられる所です。ですからぜひ、あなたも天国に招き入れていただけるように、主の御名を呼び求めて、天国への予約をなさってください。  ある講演会のあと、一人の女性が私のところに来ました。彼女はとても動揺しているようでした。「一体どうすれば、天国を予約できるのですか? 予約と言われると、なんだか旅行会社みたいですけど」。私は答えました。「その通り。どこであろうと、予約しなければ、行きたいところに行けないでしょう? あなたがハワイに行きたいなら、航空券を予約しないとね」。彼女は言いました。「その切符を手に入れるためには、支払いが必要ですよね」。「そうです」と私。「天国への切符も当然支払われなければなりません。しかし、その切符はあまりにも高価で、誰一人その代金を払うことはできません。私たちの「罪」が、天国行きを妨げてしまうのです。神様は、天国では罪の存在をお許しになりません。もしあなたが、天国で神様と永遠に過ごしたいのなら、まず「罪」を赦され、救われる必要があります。そして、この「罪」を赦してくださるお方は、罪とは完全に無縁のお方以外にありません。そのお方こそ、イエス・キリストです。イエス様こそは、あなたが天国に行けるために、あなたに替わって代価を支払うことのできる唯一のお方です。事実、イエス様は十字架の上で、ご自身の血潮によって代価を支払ってくださったのですよ」。  天国に行くために、私たちはいったい何をすればいいのでしょうか。神様は私たち全員を天国に招いておられます。聖書の中には、私たちが神様の招きを受け入れるように促している箇所が、たくさんあります。  「努力して狭い門からはいりなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、はいろうとしても、はいれなくなる人が多いのですから。」(ルカ13・24)  「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」(マタイ4・17)  狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭くそれを見いだす者はまれです。」(マタイ7・13-14)  「永遠のいのちを獲得しなさい。」(テモテ6・12).  「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒16・31)  これらはみな、神様からの招きの、深く心に響く言葉です。この招きに込められた神様の真剣で暖かい気持ちを、あなたは感じるはずです。今、私たちがするべきことは、次のように祈って、この招きを受け入れることではないでしょうか。  「主イエス様。あなた様を通してでなければ天国に行けないことを知ることができました。いつの日か天国で、イエス様とともに永遠にいたい、と願います。自分の罪のために、本来は地獄に向かうべき私を、どうか救い出してください。あなた様は私を愛してくださって、私のために十字架の上で死んでくださり、私が受けなければならない罰の身代わりとなってくださいました。私の子供のときから現在まで、心と身体で犯した罪を、あなた様はすべてご存知です。私が思い出せる罪、また思い出せないあらゆる過ちをも、あなた様はすべてご存知です。あなた様の御前に、私のすべてはさらけ出され、知られています。今のままでは、天国に行ってあなた様と共にいることなど、許されません。ほんとうに、ごめんなさい。どうか私の罪をお赦しください。私の人生に直接介入してくださって、私を新しくしてください。あなた様がご覧になって、正しくないことを、すべてやめられるようにお助けください。良い習慣を身につけられるようにお助けください。あなた様が語られた御言葉である聖書を、理解できるように助けてください。あなた様が私に語ってくださることをすべて、理解できますように。みこころにかなう、従順な心を私にお与えください。私は、あなた様についていきたいのです。私の人生のあらゆる局面で、私の進むべき道をお教えください。あなた様は、私の祈りをいつも聞いていてくださいますから感謝します。神様の子供とされていること、天国であなた様と共に永遠にいられることを、感謝します。アーメン。」 Prof. Dr. Werner Gittヴェルナー・ギット教授・博士

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